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pgha1117

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しゅうちょうと申します。
もう引っ越しはしないと決めていましたが、またもや引っ越す破目になり、ブログを立ち上げる事にしました。
テクノロジー犯罪、組織的ストーカーの被害記録を綴ります。


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昨日のニュースの続きです。

美濃部亮吉氏が都知事になった事で、私の家族のその後が変わる事になりました。
記事に出来る時があれば、書いて置きたいと思います。

当時は、その様な事は分かりませんでしたが、一家で小平に住み始めた、そこから誘導は始まっていたのかも知れません。

このニュースにも【「朝鮮大学設立審議会」で答申を受け取る美濃部亮吉東京都知事(左)=昭和43年】という写真があるのですが、コピー出来ません。


5月7日のニュース 産経ニュース より引用

2016.5.7 01:00更新  【朝鮮大学校 60年の闇(中)】

美濃部亮吉都知事が「援護射撃」 慎重論押し切り学校認可 金日成氏への“手土産”

「日本のビジネスマンの方ですか」

 昭和47(1972)年春、北朝鮮の平壌中央郵便局。日本から送付された新聞を受け取りに来た共産党機関紙「赤旗」の平壌特派員、萩原遼(79)=当時=は、愛くるしい笑顔が印象的な女性から突然、声をかけられた。

 見れば近くに50人ほどの男女の若者がいる。女性は萩原を貿易会社の駐在員と勘違いしたらしい。

 「いや、新聞社の特派員です。あなたたちも日本から来たのですか」

 朝鮮大学校の在校生約200人が、首相だった金日成の同年の生誕60年を盛り上げるため、北朝鮮が進めた帰国事業に応じて北朝鮮に渡っていたことは知っていた。彼女らが、その在校生たちだったのだ。

 「日本にいる母、家族への手紙をみんなで出しに来たのです」

 会話は5分で終わった。再会を模索したが、彼らの消息はつかめなかった。

 34年12月に始まった北朝鮮への帰国事業には「地上の楽園」といううたい文句に誘われて9万人超の在日朝鮮人らが参加した。

 ところが、実際は食事に事欠いたり、強制収容所に収監されたりする人が相次ぐ。惨状が知れ渡ると、参加者も減っていった。萩原は、同大の在校生が帰国事業の不振を糊塗する“貢ぎ物”としてかき集められたとして「前途ある若者に本当に惨いことをしたものだ」と述懐する。

■ ■ ■

 金一族を支える同大を後押ししたのが当時の東京都知事、美濃部亮吉だ。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関係者によると、社会主義者を自任する美濃部は46年の秋、訪朝して金日成と2回も会談している。美濃部は一連の会談で社会主義下の平壌の現状を引き合いに出して、「資本主義の負けは明らかである」と断じたという。

 このとき、美濃部は43年に政府・自民党の慎重論を押し切って、同大を各種学校として認可した実績も“手土産”として持参した。各種学校として認可され、同大は固定資産税の減免措置など財政的なメリットを享受することになった。

 認可前の同大は34年に東京都小平市に移転する際、トランジスタラジオ製造工場の建設と偽装して、周辺住民の反対運動を封殺。さらに朝鮮総連は「民族教育は基本的人権だ」「学術研究の機会を奪うな」と主張して、認可実現に向けた大キャンペーンを展開。これに美濃部が応じたのだ。

 金日成は51年、同大の代表団と平壌で面談すると、「朝鮮総連が敵と堂々と戦えるのは、基地である朝鮮大学校を通じ、絶え間なく幹部を養成し続けているからだ」と満足げだったという。美濃部の“援護射撃”で同大の財政が安定し、結果的に総連幹部の育成が進んだ。

■ ■ ■

 私立学校法では、都が認可した学校法人が法令違反した場合、解散を命じることが可能だ。

 平成24年3月、都議会文教委員会で当時、自民党だった野田数が北朝鮮による拉致問題を引き合いに「学校認可は完全に間違いだった」と見直しを求めたが、都側は態度を明確にしなかった。一方で、都は昭和40年に「各種学校として認可すべきではない」との文部事務次官通達を把握しながらも、認可に踏み切った事実を認めた。

 ただ、同大学長の張炳泰は、北朝鮮の国会議員にあたる最高人民会議代議員も兼務。同会議は、核開発を主導した総書記の金正日、第1書記の金正恩父子を絶対視しているが、都私学行政課は「認可基準に違反している認識はない」としている。

 社会主義の勝利を声高に叫んだ美濃部が恩恵を与えて育んだ同大。金一族崇拝思想の醸成が都の庇護下で脈々と続くことになった。(敬称略)

引用終わり まだ続きます



今日も3時過ぎに起こされ、4時過ぎ明るくなった頃に起きました。
一昨日から左の首、肩にも照射され、起きた時から体中の痛みです。
洗濯物を干し、洗い物をして横になりましたが、下からの加害が酷く横になっても痛みが無くなりません。

日曜、月曜とベランダが比較的静かでしたが、加害の酷い火曜日は元に戻り、重い物を動かす様な音が何回もしていました。

声立ても酷く、食事をしている間中続け、夜もブログを書き始めるまで子供の声立てをしていました。
午後に、ジェット機が真上を低空で飛ぶ様な凄い音がしていましたが、ジェット機にしては時間が長く、一体何の設定でしょう。

音はレコーダーに残っています。


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