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pgha1117

Author:pgha1117
しゅうちょうと申します。
もう引っ越しはしないと決めていましたが、またもや引っ越す破目になり、ブログを立ち上げる事にしました。
テクノロジー犯罪、組織的ストーカーの被害記録を綴ります。


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母は昭和59年に亡くなりました。
父は勤めが終わる定時には家へ帰って来る人でした。
日曜日には私達娘を連れて散歩。

帰って来るとバイクや車を磨き、絵を描き、楽器の演奏をする人でした。
家を空けるのは会社の旅行と県人会位でした。
ずっと家に居る人でした。

母が亡くなってから年に一回、父を温泉に連れて行っていました。
東北6県、甲信越3県、群馬で終わりました。
原因は転倒です。

2泊3日で、急ぐ旅でもないので空いている観光地をゆっくり回りました。
わざと混む時期を避けて行っていました。
群馬の水上を歩いている時に父が何度も躓いて前のめりになりました。

転倒はしませんでしたが、私が転倒するのではないかと心配になり止めたという事です。
とても楽しみにしていたのに…。
危ないから止めるという事を納得して貰うのも大変でした。

毎年の暮れにアメ横に買い物に行くのも恒例でした。
父が若い時には一人で大量の買い出しをして、田舎にも荷物を送っていました。
歳を取ってからは家族3人でアメ横にも行っていました。

これも群馬へ行った年には転倒を恐れて介護タクシーで行きました。
なかなか思う様に動けず、翌年からはアメ横へ行くのも止めてしまいました。
暮れに西郷さんの銅像に会うと年の終わりを感じていた様です。

父を認知症に見せ掛けられた事もありました。
仙台だったと思います。
駅ビルの中で買い物をしていましたが、父を探しても見付からなくなりました。

散々探してから放送でも頼もうかと相談している所へ父が来ました。
他の階へ行っていたのです。
娘二人で怒り狂いましたが、普段はその様な事をする人ではありません。

父は亡くなるまで呆ける事はありませんでした。
今思うと、これらも旅行を止めさせる加害だったと思います。
両親が元々の無自覚被害者(TI)だったと確信しています。


今日も1時近くに布団に入りました。
起こされてラジオをつけると2時過ぎでした。
騒々しい曲をやっていましたが眠った様です。

織田哲郎の歌声で目が覚めました。
4時の時報、暴力団の死刑囚が他の殺人で起訴されるというニュースを聞いて起きました。
布団の上に座って頭の防御をしていると 飛行機音!

6時16分  お米を研ぎに下りる前に 近くからピーポー! 3.4回鳴らしただけで直ぐに止めました。
以後もピーポーは少ない方でした。
夕食の支度に下りて、冷蔵庫から食材を出した途端 狂った様にウ~!

8時36分  紙ゴミを纏め終わると グ~ッ 押し付ける様な飛行機音!
朝の4時から始めた飛行機音は、今日は大量に聞かされています。
頭上ヘリ音も5回!

ピーピー車は10時過ぎに近くに止め、動いた音はしていません。
バイク、車、配送様の車は今日も大量にうろついています。
ミンミンゼミは朝と夕方、まるでヒグラシの様で異常です。

まだ思う様に動けずに横になっている事が多いです。
そこを狙ってカックンカックンという様な揺れを送られていました。
ゴミ出しに出られずゴミ屋敷、去年と同じく草取りも出来ないので空き家の様です。

今朝、髪を梳かす時に頭を押されている感覚が良く分かりました。
頭の防御を取った時に、稲城市の時と同じ様に頭を真上から押されました。
今日も圧迫波は酷く、体全体を押されている様に重いです。

朝食時から大量の鼻水を出し、痰を出し飲み込み妨害、呼吸妨害!
加害波照射で腕まで酷く痺れる様になりました。
階段を普通に上り下りが出来る様になると脱力波、脚に力が入らなくなります。



今日のニュース livedoor・NEWS より引用

【毒物カレー事件19年】「何を言うてもだめや」林真須美死刑囚、家族に弱音 面会の息子には涙ぐむ
2017年7月25日 12時32分 産経新聞

和歌山市で平成10年7月、夏祭りのカレーを食べた住民4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒となった毒物カレー事件は25日、発生から19年を迎えた。
 
3月に和歌山地裁に再審請求を棄却された林真須美死刑囚(56)=殺人罪などで死刑確定=は、決定を不服として翌月に大阪高裁に即時抗告。再審無罪に向けて執念を燃やすが、家族には弱気な一面も見せる。一方で、被害者や家族の苦痛は今なお続いている。

大阪拘置所に在監中の林死刑囚と、夫の健治さん(72)は5、6月に面会した。再審請求が棄却されたことに林死刑囚が「何を言うてもだめや」と弱音を漏らした、と振り返る健治さんは「外からではどうすることもできないのが歯がゆい」と心境を語った。

 事件当時、まだ小学生だった長男(29)は林死刑囚と手紙のやりとりを続け、6月に面会。ふっくらとしていた体がやせ細り、白髪が目立つようになったのが印象的だったと語る。林死刑囚は「一度、事件から距離を置いて自分の人生を歩んでほしい」と涙ぐんだという。

 事件の現場周辺では現在も、精神的な苦痛に苦しむ被害者や家族が少なくない。娘がヒ素入りのカレーを食べた住民男性(70)は「今でも各地で事件が起きるたびに、カレー事件と重ねてしまう」。また、亡くなった林大貴君=当時(10)=が通っていた市立有功(いさお)小学校では、今でも給食にカレーを出していない。
     ◇
 毒物カレー事件 平成10年7月25日、和歌山市園部の自治会の夏祭りで提供されたカレーにヒ素が混入され、4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒になった。和歌山県警は近くに住む林真須美死刑囚を殺人容疑で逮捕。無罪を主張したが、和歌山地裁は14年に死刑判決を言い渡した。林死刑囚は控訴、上告したものの21年に死刑が確定。同年7月に申し立てた和歌山地裁への再審請求も今年3月29日に棄却された。翌月、決定を不服として大阪高裁に即時抗告している。

引用終わり


黙秘権で話していないのだと思いましたが何を言っても駄目と言う事は話しているという事ですね。
報道もしていないと思いますが、どの様に話しているのか情報を出して欲しいと思います。
記憶が薄れない事件です。


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