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pgha1117

Author:pgha1117
しゅうちょうと申します。
もう引っ越しはしないと決めていましたが、またもや引っ越す破目になり、ブログを立ち上げる事にしました。
テクノロジー犯罪、組織的ストーカーの被害記録を綴ります。


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千葉でも下から電流が流れている様なビリビリと痺れる状態が続きました。
立っていれば足から、座椅子に座るとお尻からじわ~っと痺れが這い上がって来ました。
寝ると足元から頭まで痺れます。

3つあった部屋とリビングダイニング、玄関に下りる階段で寝てみました。
階段も上から下まで布団の場所を変えましたが無事な所はありませんでした。
階下が従姉の部屋と思われる所に首から下が入る様に布団を敷きました。

ドアの所に首が来るようにしました。
床は全てフローリングでフラットだったので首は無事でした。
ドアの幅しかないので狭いのは仕方がありませんでした。

リビングダイニングに頭が出る様にして寝ていました。
これで少しは痺れがマシになり、1.2カ月はこれで寝ていたと思います。
被害者の会でアースを持っていると良いと聞いて変えました。

リビングダイニングに布団を敷いて、台所からアースを4本長く引いて来ました。
両手両足に1ずつ巻いて寝ていました。
引っ越すまで、これでだいぶ痺れがマシになりました。

アースを引くまでは、食事もパン、カップラーメン等を歩きながら食べていました。
学校で使っていた様な木の椅子にゴム板を敷きました。
背もたれにもゴム板を置きました。

前にアルミの脚立を置き、足を乗せる所にもゴム板を置きました。
脚立にアースを繋ぎ、椅子に座る時には手にアースを持つか巻くかしていました。
これで食事も一応は座って食べる事が出来るようになりました。

千葉では一度も料理をしていません。
コンロはお湯を沸かしただけです。
引っ越した翌日にはまた引っ越さなければと思ったので、荷造りをした段ボールを開けませんでした。

どうしても必要な物だけを出していました。
パソコンもデスクトップだったので契約もしませんでした。
家の電話も契約しなかったので、ここで初めて携帯電話を持ちました。

もうこの時期には本も読めず、取扱説明書も読めませんでした。
今も携帯電話の操作は苦手です。
携帯のアドレスは買った時のままで覚えていません。


昨夜もネット妨害はありませんでした。
ブログと動画で眠らされるのは、いつも通りでした。
0時15分頃に布団に入りました。

起こされてラジオをつけると番組の紹介をしていました。
4時過ぎだと思い階下へ下りると3時17分でした。
最近この様な事が多く、起き抜けに思考操作でもされているのか気を付けなければと思います。

布団に戻ってラジオをつけました。
スポーツドラマの主題歌の特集でした。
天気予報、4時の時報で起きました。

6時59分  出汁昆布を切り、水に浸して横になると ピーポー! 延々と鳴らしているので何かと思うと、頭の防御が落ちていました。 防御を戻すと、ピーポーを止めました。
以後もいつものようにピーポーピーポー!

土曜日で?大音量の飛行機音、ヘリ音はありませんでした。
髪を梳かす前にピーピー車が近くに止まりガン!ガチャン!
以後も細かく位置替えをしてウロツイテいました。

今日も一日中殺人波照射!今は右の腰が痛みます。
圧迫波も酷く、特に1階はどこに居ても押されるようです。
今日も襖が揺れる悪意あるドアバンッ! 多! マイクロ波を照射されたりしています。



今日のニュース 日本經濟新聞 より引用

旧岩崎邸、戦後の闇見つめた白亜の館  
今昔まち話
2017/10/14 14:14

三菱財閥・岩崎家の本邸として1896年に完成。かつては1万5000坪の敷地に20棟以上の建物があったが、今は3分の1ほどの面積に洋館、和館、撞球(ビリヤード)室が残る。

岩崎亭
英国や米国などの様式を取り入れた旧岩崎邸庭園の洋館(東京都台東区)

西欧建築を日本に伝えた英国人建築家、ジョサイア・コンドルが設計した。「こんな立派な明治の洋館が残っているのは珍しいんですよ」。ボランティアガイドを務める「茅町コンドル会」の三村善美会長は胸を張る。
 
しかし、財閥の華やかさとは異質の暗い時代もあった。戦後まもなくGHQが接収。「キャノン機関」と呼ばれる秘密機関が拠点にしたのだ。

 キャノン中佐が率いた同機関は、国鉄総裁が遺体で見つかった1949年の下山事件など戦後の不可解な事件で関与が噂された。真相は不明だが、ベールに包まれた姿が垣間見えたのが鹿地事件だ。
 
51年11月、神奈川県藤沢市の自宅付近を散歩中だった作家の鹿地亘が拉致された。翌年12月の解放まで監禁場所は転々としたが、最初に連れてこられたのが旧岩崎邸だった。

 「きみは人知れず死にたいか、それともぼくらに協力するか?」。鹿地の手記「暗い航跡」に、すごむキャノンが描かれている。

 鹿地は戦時中に中国で反戦活動をした際、米側に協力。しかし、戦後はソ連のスパイの疑いをかけられていた。作家の松本清張は「日本の黒い霧」で、キャノン機関が拉致したのは「アメリカとの協力を裏切ってソ連の手先となった背信に怒ったためかもしれない」と書いている。

 旧岩崎邸に連れ込まれたのは鹿地だけではないという。サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復した後も、人知れずうごめく米国の秘密機関。戦後日本の闇を知っているのは白壁の洋館だけかもしれない。


旧岩崎邸庭園 東京メトロ千代田線・湯島駅から徒歩3分。入園料は一般400円で開園は午前9時から午後5時(年末年始は休園)。毎日午前11時と午後2時にボランティアによるガイドがある。山小屋風の造りの撞球室は通常非公開だが、毎月第2木曜日のみ特別ガイドがある。近代建築史のセミナー、若手演奏家によるコンサートなどイベントも盛りだくさん。庭園の一部は拡張・復元工事中で、来年夏にも完成する見通しだ。

岩崎亭

引用終わり


明治時代の立派な建物ですが、岩崎彌太郎という名前は高校を卒業する頃に知りました。
昔から戦争と関係すると儲かる様になっているのでしょうか?
庭園も凄いですが、闇の部分を見るとあまり行きたくありません。


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