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pgha1117

Author:pgha1117
しゅうちょうと申します。
もう引っ越しはしないと決めていましたが、またもや引っ越す破目になり、ブログを立ち上げる事にしました。
テクノロジー犯罪、組織的ストーカーの被害記録を綴ります。


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過去の事 25

この病院でも私への対応が不審に思えたのは一人の医者だけです。
私が貴方に何かしましたかと聞きたい様に思う位、不愛想でした。
私がターゲットと知っていた加害側の人なのでしょう。

精神科という所で、働かない職員は沢山いましたが嫌がらせをされた事はありませんでした。
前の会社も7年、この病院も7年で辞め、私は7年以上は続かないのかと思いました。
しかし、この後はもっと続かなくなりました。

それほど間を空けずに、一般の救急病院に勤めました。
医事課の入院担当でした。
入社して驚いたのは、どの部署も職員の入れ替わりが激しい事でした。

医事課も同じで、担当する事も決まっていず、寄ってたかって仕事をするという感じでした。
レセプトの時期には事務所で夕飯を注文して食べてからまた仕事という日が続きました。
これでは何も覚えられませんし捗りません。

新入社員でしたが一番年上でした。
それぞれの担当を決めてやりたいと言うと、他の三人も快諾してくれました。
これで仕事はやり易くなりました。

数か月後、院長が事務所の盗聴をしているという話が出ました。
これは仄めかしだったのかもしれません。
事務所で余計な事は話せないので皆で温泉へでも行こうという事になりました。

事務長補佐の様な男性と経理の女性、救急車の運転手さんが中心でした。
誘われなかった事務所の人もいる様で、これには何かの意味があるのかもしれません。
一泊二日で箱根の温泉へ、毎月一度行っていました。

こうなると色々な人から様々な話を聞く事になります。
私は信じていましたが、今思うと聞かせる為の話もあったと思います。
ここに何年いたか忘れてしまいました。

年金の書類を見れば分かるのですが、それを探す体力がありません。
医事課の四人のうちの二人が結婚する事になりました。
それで二人とも辞めてしまったのです。

なぜ男性も辞めたのか、聞いた様な気もしますが噂かもしれません。
私が入った時の事務長も既に辞めていました。
これで私はまた荷が重くなってしまうのです。

私も辞める事にしました。
言い出しっぺだったので一番面倒な病棟を受け持っていました。
その仕事量が倍になるのは勘弁してほしいと思いました。

当時はもうレセコンがあり入力と出力が出来れば取り合えずレセプトは出て来ました。
煩雑にしようと思えばいくらでも出来ますし、手順を決めればそれほど大変な仕事ではありません。
交代の激しい所なので、私がほっぼり出してもそれほど罪の意識はありませんでした。

話が戻りますが、事務長が辞めてから補佐的な男性が事務長代理をしていました。
この人は私が入社した時はお好み焼き屋をやっていました。
経理の女性に連れられて食べに行った時に初めて会いました。

医事課の出入りが激しく、仕事がゴチャゴチャで以前勤めていたこの男性を呼び戻した様です。
この人に慰留はされましたが私にはとても無理と思い辞めました。
しかし、こことの縁は、これでは終わりませんでした。


今日も0時過ぎに布団に入りました。
起こされてラジオをつけると2時過ぎだったと思います。
ここでラジオの音を小さくしただけでONのまま眠ってしまった様です。

次に起こされるとラジオは途切れ途切れにしか聞こえませんでした。
部屋の中がうっすらと明るかったので起きました。
頭の防御を直していると加害が酷くなったので雨戸を開けずに階下へ下りました。

9時42分  煮物を作り、ガスコンロへ行く前に 私の上だけ音がする
        不自然な ヘリ音 大!
9時46分  お鍋が沸騰し、火を弱めに行く前に ピーポー! 火を細
        くして二階に上がり始めると 数台で鳴らす ピーポー!

以後、飛行機音、ヘリ音、ジェット機音を多用していました。
ピーポーはずっと小さく流していましたがシャワーの支度を始めるとピーポーピーポー!
ここは外せないタイミングのようです。

14時10分頃、とても変な音がしました。
その後、敷地内の敷石の上を歩く足音立て!
ガスボンベをガタガタとさせる音!

先月も19日にボンベの音がしています。
ガスが少なくなると交換に来るのかと思っていましたが…。
今日の初めてのヘリ音も、目立つピーポーもガスコンロへ行く時でした。

ガスボンベはガスコンロの左横の壁の向こうにあります。
工事音は16時過ぎから、ドリル音を数秒流しただけでした。
今日もバイク、ピーピー車がうろつき回っています。

今日も朝から圧迫波が酷く、あれもこれも押されています。
加害波を照射されると手足の痺れが酷くなり、拘縮してきます。
倦怠感、脱力感が酷く、何をしても重労働になります。

他の方のブログやツイートにも圧迫感や脱力感を書かれている方がいます。
同じ加害波の照射だと思われます。
何度もやられないと加害とは思えない様に攻撃をされています。



今日のニュース 東京新聞 TOKYOWeb より引用

「共謀罪と共通点」警職法 59年前に横暴を阻んだ市民運動
2017年5月19日 夕刊

「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が十九日、衆院法務委員会で可決された。五十九年前、衆院に提出された警察官職務執行法(警職法)改正案を廃案に追い込む運動に参加した人たちには、法案成立を急ぐ安倍政権の姿が、警察の取り締まり強化をもくろんだ当時の政府と重なって映る。 (中野祐紀)
 
当時、警職法改正案の問題点を端的に突いたのは、一九五八(昭和三十三)年十一月九日号の「週刊明星」の記事だった。警職法に「おまわりさんのしごとのやりかた」と読み仮名を振り、五ページにわたる分かりやすい文章で危険性を説き、反対運動に火を付けた。

 「デートもうっかりできず、新婚旅行に出かけても、いつガラリと襖(ふすま)をあけて警官が踏みこむかもしれない」。当時名古屋大法学部一年だった元駐中国大使の丹羽宇一郎さん(78)は、記事が出たころに運動に加わった。戦中の三九年生まれ。改正案の中身は、市民の思想や言論を弾圧した戦前・戦中の治安維持法と「オイコラ警官」の再来にしか思えなかったという。

 「僕もデートは好きだったし…というのは冗談だけど、市民に『人ごとじゃない』と分からせる名コピーだったな」。街頭で拡声器を握り、反対を叫んだ。市民のデモと野党の徹底抗戦を受け、政府は十一月に改正を断念。改正案は「審議未了」で廃案になった。

明星
警職法改正案の問題点を指摘した「週刊明星」
 
あれから六十年近くが過ぎた。集団的自衛権の行使を可能とし、次は共謀罪法案の成立を目指す安倍政権。丹羽さんにはその姿が、六〇年の日米安保条約改定を目前にして警察の権限を拡大しようとした、安倍首相の祖父の故・岸信介元首相の政権と二重写しになるという。

「政府の意向に反したものは全て取り締まりたい、そのための武器がほしい、という権力の本音は何も変わっていない」
 
法案の成立を許せば「今生きている世代は、ここ五、六十年で最悪ということになる。絶対に阻止する気迫と情熱が欠けている」と警鐘を鳴らす。

<警察官職務執行法> 警察官の職務での質問、土地や建物への立ち入り、武器の使用法などを定めた法律で、8条から成る。戦後間もない1948年に成立。当時盛んだった労働運動などへの対策とされる58年の改正案は、令状なしの身体検査、「公共の安全と秩序」を守る目的での市民の行動に対する警告、制止、保護を目的とした身柄拘束を可能にし、警察官の権限を強める内容だったが、廃案になった。法はその後、わずかな語句の修正を除いて改正されていない。改正反対闘争は、戦後初めて国会外の市民運動が多数党の法案を葬った例とされる。

引用終わり 下線は私


今回は阻止出来ないのでしょう…。
最悪の時代を最悪の犯罪に遭いながら生きるのは大変です。
いつの日かこれらの全てが明るみに出る日の為に、記録しておきましょう。


過去の事 24

病院に勤めて事務長が度々変わる様になると事務員も入れ替わりが多くなりました。
医事課以外からその動きが始まった様に思います。
創価学会の本部長という人は健康診断のお金の問題で辞めていました。

その時の事務長が先に辞め、数か月後に学会の人が辞めました。
2.3年で辞めたのではないかと思います。
私より遅く入った庶務的な仕事をしていた女性は1年位で亡くなりました。

当時は職員の昼食を病院の栄養課で作っていました。
外注ではなかったので美味しく、ほとんどの職員が院内で食べていたと思います。
庶務の女性は途中からお弁当を持って来ていました。

1枚の食パンの4分の1位しかありませんでした。
朝の通勤の時に一緒になったので聞くと、お腹が痛いと言っていました。
ほどなく入院、胃癌で数か月後に亡くなりました。

熱心なクリスチャンだった彼女は元々小さく細く、体力も無かったのかもしれません。
とても物静かな女性でした。
この方が亡くなると、医事課の隣の事務室に私より古い人はいなくなりました。

医事課も、長い間受付をしていた方が辞めました。
新しく来た受け付けは若い女性でしたが、受付で寝ている事が多く驚きました。
この病院は外来は午前中だけでした。

午後は入院費の支払いに来ますが生活保護の患者さんも多く、受け付けは暇です。
面会、外出、外泊の送り迎えに家族の方が来て病棟に通じるドアの錠を開けるのも医事課の仕事でした。
この家族と患者さんをドアまで送るのも、ほとんどは私と私より給料が安かった先輩で行っていました。

医事課で一番古い人は朝からコーヒーを入れ、病棟や総婦長の所でおしゃべりをしていました。
働かなくても何も言われないと、働かなくなる人がいるんです。
こんな時に仕事を抱え込んでいる先輩が病気になりました。

元々具合が悪かった所を手術する事になりました。
長く休む事になり、この人の大量の仕事をどうするのか誰も考えていませんでした。
ここで私も辞める決断をしました。

事務所の雰囲気は入社した時とは全く変わり、皆、好き勝手にやっているという感じでした。
今思えば私も無責任の様ですが、その時は私に頼られても全ては出来ないと思いました。
辞めてから先輩のお見舞いに行きました。

彼女はベッドに横向きに座っていました。
手術の時に肺に穴が開いたそうで、肺からカテーテルが出ていました。
この方も痩せて小さい人で、入院が更に長引いてしまった様です。


今日も0時過ぎに布団に入りました。
防御が終わると左下から衝撃波!
ウトウトするとピーポーピーポーと小さな音が鳴り続けていました。

トイレ誘導で起こされ、階下で時計を見ると2時30分でした。
布団に戻ると近くからバイクが出ました。
少しウトウトとした様で、時間を確認する為にラジオをつけると雑音でした。

ラジオをONにすると右脇腹に殺人波照射!
ダイヤルを回していると深夜便の歌が聞こえ4時に起きました。
頭の防御を直していると、またトイレ誘導!

7時〇〇分  洗濯を干し、首を伸ばす為に横になると ピーポー! 眠らされてしまいました。 眠らされたので、何時か忘れてしまいました。
ずっと小さくピーポーピーポーと鳴らしているようです。

9時04分  煮物を作っておこうと階段を下り始めると 飛行機音 大! 続いてピーポー、飛行機と立て続け!
私の家の上だけ飛ぶ、不自然に短い上空の音が大量でした。

今日もピーピー車がウロツキ周り、酷い加害でした。
近隣の音立て声立ても多くやられました。
洗濯物を持って二階に上がった時は、近くでワォ~ン犬の吠え立てでした。

今日も朝から圧迫派が酷く、洗濯籠も階段から落とされそうでした。
手足の痺れが酷く、飛行機音などで更に酷くなります。
横になっていると下から何度も衝撃波、殺人波照射!



今日のニュース Business Journal  より抜粋

ヤマトの「怠慢」への強烈な疑念…配達ドライバーに膨大な無駄な作業を強制
文=大崎孝徳/名城大学経営学部教授

「クロネコヤマトの宅急便」でお馴染みのヤマト運輸の現場が大変なことになっているというニュースが世間を騒がせ始めてから、かなりの時間がたったが、相変わらず毎日のように関連するニュースが報道されている。

 ヤマト運輸といえば、役員の反対を押し切り、個人向け小口貨物配送サービス「宅急便」を開始した同社元社長の小倉昌男氏を忘れることはできない。1999年に出版された著書『小倉昌男 経営学』(日経BP社)は、実務家・研究者双方から高く評価されている。筆者も拝読し、業界の常識や慣習にとらわれることなく、自らが正しいと信じることを貫く姿勢に大変感銘を受けたことを覚えている。

 また、ヤマト運輸を取り上げたテレビ番組『プロジェクトX 挑戦者たち 腕と度胸のトラック便~翌日宅配・物流革命が始まった~』(NHK)も大変優れた内容で、筆者はそのDVDを現在でも講義における教材として活用している。小倉氏は1995年に会社を離れ、その後、福祉に関わる事業に従事、2005年に他界されている。

 現在、話題となっているヤマト運輸の騒動に関して、小倉氏がご存命であったなら、どのように考え、コメントされるだろう。著書などによると小倉氏は、従業員をはじめ、人を大切にする方であったため、「ドライバーが昼食をとる時間がない」「残業代の不払い」といった現状に対しては、大変お怒りになるだろう。

 一方で「業績の低下」に関しては、それが消費者のため、より良いサービスになることであれば、「短期的な業績など気にせず、どんどん実行しなさい」とおっしゃるのではないだろうか。

 しかしながら、アマゾンをはじめとする大口顧客の低価格要求による「業績の低下」に関しては、「なぜ徹底的に戦わないのか」と激怒されるか、もしくは協働して解決策を見つけ出されるかもしれない。

 筆者は単身暮らしのため、長期の出張から戻ると玄関ドアに同じ届け物の不在通知が3~4枚挟まっていることが、たまにある。ちなみに、部屋はエレベーターのないビルの4階だ。これには、倫理観の低い筆者のような人間でも、さすがに申し訳ないと心が痛む。同時に、このように無駄なことをドライバーに強いる、本部の「仕組みを構築するスタッフ」に対して「なぜ改善しないのか?多くても2回で十分ではないか?そもそもこうした仕組みを放置することは怠慢ではないか?」といった気持ちも抱いていた。

 現在、実施している「お届け予定eメール」は、確かに若者にはよいサービスだが、高齢者には電話のほうが適しているかもしれない。そのほか、顧客サービスを大きく損なうことなく、ドライバーの負担を軽減させる創意工夫の余地は大いにあるように思われる。

 一連のヤマト運輸のニュースが時を経てもなかなか劣化しないのは、おそらく多くの人が同じような思いを抱いていたからではないだろうか。また、気にはなっていたが、なかなか言い出せなかったことが、まともな方向に進みそうで何より、と思っているからではないだろうか。

 そうだとすると、「日本社会もなかなか捨てたものではない」と感じている。
(文=大崎孝徳/名城大学経営学部教授)

抜粋終わり


私も小倉さんという方の事を聞いた事があり、ヤマトは良い会社だと思っていました。
小倉さんは亡くなられていたのですね。

私の所も、不在票が一日に2枚入っていたりします。
再配達の連絡をしないと4日連続で不在票の入っていた事もありました。
荷物の全てにやっていたのだったら、そりゃあドライバーさんは大変でしょう!


過去の事 23

街宣のお知らせです。
お近くの方は、是非ご参加下さい。


目覚めよ日本!国家権力犯罪糾弾!打倒監視国家!

5月22日(月曜日)

12時から15時 金沢駅東口 日航ホテル横
16時から19時 金沢市武蔵町エムザ前



病院は年中無休です。
17時になると事務当直のバイトの男性が出勤して来ます。
日曜、祝日は医事課が交代で日直をしていました。

外来の受付を止め、一日中医事課にいるようになると日直をやらなければなりませんでした。
一人で一日中事務所に居て、患者さんの対応をする自信がありませんでした。
仕事を抱え込んでいる先輩と一緒にやれば、その人の仕事も捗ると思い、そのように言ってみました。

誰に言ったのか忘れたのですが、これにOKが出ました。
今思うと、これは有り得ない事です。
余計な人件費など使いたくない筈です。

何故これが許されたのか…。
二人で日直を何度かやりました。
お金は先輩の仕事だったので、私はノータッチ、金庫の開け方も知りませんでした。

年度は忘れましたが11月の末の日直を終わり、先輩が金庫に小型金庫を仕舞い帰りました。
翌月曜日、金庫が開けられ小型金庫が無くなっていたのです。
事務関係の職員とバイトの事務当直は事情聴取というのか、田無警察に何度か行かされました。

私も2.3回は行かされたと思います。
自分は金庫の開け方は知らない事、先輩が小型金庫を金庫に仕舞うのを見た事を話しました。
お金に関係の無い仕事をしている私が、金庫の開け方を知らないのは他の職員も知っていました。

警官が私の言う事を調書に書き、読んで聞かせ、間違えが無いかと聞き、拇印だったと思いますが押しました。
この時に左右全ての指紋を取られています。
今思うと、部屋は取調室で犯人扱いだったのかもしれません。

事務所で皆と話した事は、ある人を犯人だと思わせ様とというか、言わせようとしているみたいだねと…。
何か月も経ってからだったと思います。
理事長が被害届を取り下げたという話が伝わって来ました。

身内の犯行だから無かった事にしようという事でしょうか?
そんな事が出来るのでしょうか?
小型の金庫はこの話の後に病院の敷地内に置いてあるのが見付かりました。

月末の日曜日で、金庫にお金が沢山入っている事を知っている人。
銀行が休みなので、お金はそのままです。
医事課では犯人の詮索をして、怪しい人は二人いましたが定かではありません。

これは下手をすれば私を犯人に仕立て上げる事が出来ました。
今思い出してぞっとします。
当時は集団ストーカーの事など知らないので平気でいられましたが…。

働き始めて精神病の患者さんを初めて見ました。
外来も入院も、ほとんどの患者さんは礼儀正しく真面目、至って普通の方達でした。
中には眠剤を貰いに来る暴力団員と思われる様な人もいましたが。

お昼休みの当番で事務所に一人残っていた時です。
泣き叫んでいる女の人が受付に来ました。
午後の診療まで待って貰う様に言いましたが事務所の中に入って来てしまいました。

この後は鍵を掛けるようにしましたが、この時は開いていました。
ケースワーカーを放送で呼びましたが待って貰うように言われました。
その内、泣き叫びに笑いが混ざる様になって困り果て又ケースワーカーを呼んでやっと来て貰いました。

こんなことがあったので一人の日直を断ったのですが、7年勤めて怖い思いをしたのはこの時だけです。
今は精神病が作られた病気だと認識しています。
向精神薬を飲む事により精神病になっていく…。

私が会った患者さんの中に、この犯罪の被害者が相当数いたのではないかと思います。
長い年月が経ち。皆さんどうしているでしょう。
どうしたら良いのでしょう…


今日も0時過ぎに布団に入りました。
トイレ誘導で起こされ、階下で時計を見ると2時13分でした。
布団に戻ると少し眠れたようです。

次に起こされてラジオをつけると雑音が酷く聞こえませんでした。
アレコレやっている内に深夜便の歌が聞こえました。
天気予報は聞けないのに、4時の時報とニュースは聞くことが出来ました。

4時06分に起きると、また急な尿意!
雨戸を開けずに階下へ下りました。
4時51分  食事中、鼻水が出るのでティッシュを取ると ピーポー!

今日は火曜日!
以後もしょっちゅう ピーポーピーポー!
数分おきに ピーポーピーポー!

5時25分  食事をして二階に上がり、雨戸を開けて横になると 飛行機音 大!
今日も変な飛行機音、ヘリ音が大量でした。
車、バイク、配送様の車、ピーピー車がウロツキ回っていました。

今日も圧迫波が酷く、頭以外も照射されています。
両手足の痺れも酷く、簡単な事をするのにも時間が掛かります。
水分も取っていないのにトイレ誘導を頻繁にやっています。

今日は火曜日。
襖がガタガタと揺れる共振ヘリも録音しました。
身体攻撃も酷く、散々な一日です。



今日のニュース HUFFPOST より抜粋

ブラウニーを焼いていたら、クマがやってきたんだけど(・(ェ)・)クマー
HuffPost Korea  |  執筆者: 김태우
投稿日: 2017年05月16日 10時48分 JST 更新: 2017年05月16日 12時02分 JST

チョコレートの甘い魅力にハマった人は数え切れない。最近、そんなチョコレート愛が動物王国まで広がっている。

ニュースサイト「indy100」によるとアメリカ・コネチカット州に住むある女性はブラウニーを焼いている最中、珍客を迎えた。大きなクマだった。

このクマはベランダに侵入し、ブラウニーを見つめて窓をたたいた。

熊

熊

近所の住人はこの場面を目撃し、「クマが窓の向こうの食べ物を食べられず、怒っているように見えた」と警察に通報した。彼は地元テレビ局「 WFSB」に「写真ではかわいく見えるが、かなり怖い場面だった。キッチン側の窓を開けられず、クマはベランダの方に向かい、それすら失敗してリビングの方のドアに向かって行った」と当時の状況を伝えた。

クマはドアを開けるのに成功したが、窓を開けるのには失敗した。結局、ブラウニーには手も届かないことを悟って去って行った。

動物ニュースサイト「the dodo」によるとクマは食べ物に刺激されやすく、嗅覚がとても敏感だ。なので、クマがいる地域に住んでいるのなら食べ物を表におかないのが良いだろう。

h/t WFSB
ハフィントンポスト韓国版より翻訳・加筆しました。

抜粋終わり


可愛いなどと言ってはいけないのでしょうが、でも可愛い!


過去の事 22

メニエール症状が、なぜ被害だと思うのか…。
妹も同じ状態にされた為です。
母に付き添って病院にいましたので、すぐに点滴をされて長引く事はありませんでした。

父は勤めの帰りに毎日病院へ寄ってから帰って来ました。
私は以前と同じで、父の買い物をして家へ届けていました。
ある日の夕方、私が家にいると最寄り駅から電話が来ました。

父が具合が悪くなったので救急車を呼ぼうとしたら私に迎えに来る様に言っていると…。
病院嫌いの父を迎えに駅まで行き、一緒に帰って来ました。
気持ちが悪くなったそうで、看病疲れの様に見えますが、以後も亡くなるまで吐き気攻撃を度々やられています。

この様に自然を装って身体攻撃をするのがテクノロジー犯罪です。
疲れているところに攻撃をすれば、より効果的にダメージを与えられるでしょう。
歩いていて足がカクッとなる、持っている物を落とすなど、妹と私の両方に子供の頃からやられています。

父は定年になるとサッサと仕事を辞め、母の所に通っていました。
それほど仲の良い夫婦には見えなかったのですが…。
母は30年以上前、52歳で亡くなりました。


昨日もパソコンの前で散々眠らされました。
ブログを書いて、すぐに布団に入るのも嫌で、古今亭志ん朝さんの対談を見ました。
0時過ぎにパソコンを片付け、45分頃に布団に入りました。

起こされると、とても静かでした。
1時?2時?と思いながら、尿漏れ加害をされそうなのでお手洗いへ下りました。
時計を見ると3時53分! そのまま洗濯、食事の支度を始めました。

洗濯機の音と、鳥の鳴き声で合図をしていました。
いつもとタイミングがずれたからでしょうか、被害は少しマシだったと思います。
そうなると以後は酷い加害をされる事になります。

6時23分  髪をとかし頭の防御を終わると ピーポー!
以後もピーポーピーポー!
外せないタイミングの時には、狂った様に数台で鳴らす ウ~ピーポー!

9時10分  紙ゴミを片付け始めると 不自然な ヘリ音 大!
いつもの月曜日よりは上空の音は少なめでした。
ポイントのところでは、私の上だけで大きな音がする ヘリ音!

工事音もいつも通り。
近隣のアチコチで数分間ずつ工事様音立て!
パソコンを始めてからは静かにして眠らせたいようです。

今日も圧迫波が酷く、頭だけではなく様々な所を押されています。
殺人波もアチコチに、向きを変えるとそこが痛くなるので方向が分かります。
手足の痺れも酷く、右手は利かず、雲の上を歩いているようです。



今日のニュース 東京新聞 TOKYO Web より引用

27年前の「横浜事件」映画が続々再上映 「共謀罪」審議の中「歴史の教訓に」
2017年5月15日 夕刊

 戦時下の治安維持法による言論弾圧を題材に、27年前に富山県朝日町などで撮影された映画「横浜事件を生きて」が今、各地で上映されている。生き証人として事件を語り続けた元雑誌編集者、木村亨さん(1998年に82歳で死去)を追ったドキュメンタリー。戦争に批判的な言論人らを取り締まるため警察が拷問で事件をつくり上げていく過程が当事者の証言で生々しく再現され、反響を呼んでいる。 (伊東浩一)

 三月下旬、長野県岡谷市で開かれた上映会。スクリーンの中で、生前の木村さんが問い掛ける。「『おまえたち、ここで殺していいんだぞ。天皇陛下の命令だ』と(警察官が)堂々と言う。まさに殺されそうだったこんなむちゃくちゃな時代を想像できますか」

 雑誌「中央公論」の編集者だった木村さんは四二年、朝日町出身の国際政治学者、細川嘉六らと新潟県境の親不知(おやしらず)海岸を観光し、同町の旅館「紋左(もんざ)」に宿泊。だが、警察はこの集まりを共産党再建を準備する目的だったと決め付けた。治安維持法違反容疑で木村さんら編集者、研究者ら六十人以上を芋づる式に逮捕し、拷問で四人が獄死。木村さんは丸太の上で正座させられ、さらに警察官が膝の上に乗るといった拷問を受け、うその自白をした。

横浜事件
映画「横浜事件を生きて」の中の木村亨さんが横浜事件について語る一場面(C)ビデオプレス

 映画製作では、朝日町で木村さんらを接待した芸者、横浜拘置所の看守らにも取材。証拠がない中、事件がつくり上げられた実態を浮き彫りにする。「情けないことに、あの侵略戦争に屈し、拷問に屈したが、もうこれ以上は許せない」。木村さんが再審請求で冤罪(えんざい)を勝ち取ることを誓い、涙ぐむ場面で映画は終わる。

 上映会を企画した毛利正道弁護士は「大きな衝撃を受けた。今、政府は共謀罪(組織犯罪処罰法改正案)の成立を目指しているが、治安維持法の制定時にも、政府や警察は『乱用はしない』と再三説明していた。実際には拡大解釈され、戦争に反対した人たちが摘発された。歴史的教訓としなければならない」と語る。
 
<横浜事件> 1942年、細川嘉六(1888~1962)が雑誌「改造」の掲載論文を「共産党の宣伝」と批判され、警視庁に治安維持法違反容疑で逮捕された。その後、神奈川県警特別高等課(特高)が押収した紋左の写真をもとに、細川らが共産党再建準備会を開いたとして、同容疑などで言論、出版関係者ら60人以上を投獄。拷問で4人獄死、30人余りが起訴される戦時下最大の言論弾圧事件となった。2010年2月、元被告5人の刑事補償を巡る横浜地裁決定は「共産党再建準備会の事実を認定する証拠はない」とし、「実質無罪」と認められた。

引用終わり 下線は私


私は、この犯罪に気づかされるまで、何かの活動をしていた訳ではありません。
加害者は何らかの理由を付けて、誰かに私を殺しても良いと言われているようです。
いまも【こんなむちゃくちゃな時代】は続いています。

遠隔から照射されている加害波は、拷問そのものです。
ここも神奈川、横浜…。


過去の事 21

病院で働き始めて数年後、一人暮らしを始めました。
今考えると、これは私を家族から離そうとしたのではないかと思います。
母の気転により、私が家族から完全に離れる事にはなりませんでした。

翌年、母の癌が再発しました。
始めの内は外出も出来ましたが骨に転移すると痛みが酷くなりました。
腰椎から痛み止めを入れると足が痺れ、歩けなくなりました。

完全看護の病院でしたが母に付き添って欲しいと言われました。
初めは病院の近くに住んでいた母の妹が泊まっていましたが直ぐに無理という事になりました。
私の妹が月曜日から金曜日まで泊まり、私が土曜、日曜に泊まる事になりました。

妹の勤めていた所が休職をさせてくれ、母が亡くなると復職させてくれました。
ここの先生に、とても感謝しています。
1年近くの入院生活が始まりました。

いつ頃かは忘れてしまいました。
仕事から帰り、洗濯を始めたのですが耳鳴りが酷く洗濯機の音が聞こえませんでした。
翌早朝に目が覚めると起きる前から眩暈が酷く仕事に行けそうもありませんでした。

お手洗いに行った序でに、電話機と吐き気がするので洗面器を枕元に持って来ました。
勤めを休む連絡をする頃にはさらに酷く、頭を少し動かすと部屋全体が回るような眩暈になりました。
ここから3日間、飲まず食わずで、3日目に勤めていた病院の内科の先生の所へ行きました。

メニエール様症状という病名で薬を貰いました。
薬の名前が思い出せないのですが、効能書きにはメニエール病も載っている精神薬だったと思います。
内科の先生が「点滴でもして行くか」と言うのを断ると「ポカリスエットでも飲みなさい」と言われました。

この時には眩暈は軽くなっていて、脱水症状から来る眩暈だったようです。
初めの時だけ、メニエール病に見せ掛けた電磁波の加害だったと思います。
看病で家族のみんなが疲れている時を見計らい、様々な加害をされていたと思います。


今日も0時過ぎに布団に入りました。
トイレ誘導で起こされ階下で時計を見ると2時40分でした。
3時の時報、母の日で母の歌の特集を聞きました。

外はいつもの様にゴーゴーキンキンと変な音が始まりました。
バイクの走行音立てを何度もすると右脇腹、足底に殺人波照射!
4時の時報で起きるとフラフラでした。

7時39分  お米をとぎ始めると ピーポー!
以後も何かといえばピーポーピーポー!
狂った様に数台で鳴らすピーポーも何回もやっていました。

8時31分  洋間で洗濯物を仕舞っていると 飛行機音 大!
日曜日なので大きな飛行機音は少なく、ヒュルヒュル音の立て続けでした。
午後の大きな飛行機音は16時40分、鼻を噛んだ後の1回だけでした。

日曜日でもアチコチで数分間だけ工事音!
近くで急に子供の大声1声立ても数回!
周りは細い道ばかりですが、雨でもバイクの走行音!

今日も圧迫波が酷く、頭だけではなく体全体を押し付けています。
手足の痺れも酷く、裸足でいても靴を履いているのと同じ感じです。
呼吸困難で息苦しくさせられています。



今日のニュース やじうまPC Watch より引用

個人でCortanaホログラフ装置を自作する強者現わる
若杉 紀彦2017年5月12日 18:17



「Hey Cortana」と話しかけると、3D CGで描かれたCortanaが中空に描かれ、検索結果を表示したり、音楽を再生したりするホログラフ装置を自作した個人がおり、そのデモがYouTubeに公開されている。

 「コンセプトCortana端末」と名付けられたこの装置は、Jarem Archer氏がMicrosoft版Alexaを想像して作ったものという。まだ、完成途中とのことだが、外観やCGなどの質は非常に高く、ぱっと見は大手メーカーの製品レベルといっても差し支えないレベルに仕上がっている。

 ホログラフ装置は自作したもので、ポータブルUSBディスプレイを上部に置き、3枚のガラスで反射させホログラムを実現している。筐体も自分で設計し3Dプリンタで出力した。
 
マイク、スピーカー、Windows 10搭載の組み込み基板を内蔵しており、通常のWindows 10端末同様、話しかけて検索結果を音声で再生したりできる。ホログラムとして描かれているCortanaの姿もUnity 3Dを使って、自らデザイン。そのモーションはArcher氏の奥さんの動きをKinectを使いモーションキャプチャした。検索結果は3Dで表示されているが、これも自作したプロキシアプリで、検索結果のHTMLをレンダリングしている。

 また、前面にはカメラを内蔵しており、ユーザーの顔をリアルタイムで追跡し、ホログラムが自然に見えるよう、ユーザーの立っている場所に合わせてレンダリングのカメラ角度などを調整している。

 このほか、筐体の電飾はArduinoで制御している。

引用終わり


個人でこのような事が出来るのですから、技術は相当進んでいるのでしょう。
被害者があり得ない物を見ても幻覚等ではないと説明出来る日が近いかもしれません。


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